飛騨の里で気に入った場所を紹介するよ
どうも、須田ジーノです。
高山駅周辺は、何回か遊びにいった経験があるため、駅から少し離れた「飛騨の里」にも足を運んだ時の話です。
ここは、昔の飛騨の暮らしを紹介する集落博物館で、ただひたすら古い家屋や道具を見ることがメインになります。雰囲気は、日本昔話に出てくるような茅葺屋根の家とか、屋根裏部屋に養蚕で使われた道具や標本もあります。このあたりが、「生き雛祭り」と関連のある産業の話になるので、あながち氷菓と関係に深い知識も得られる場所だったりします。
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入ってすぐの景色
来て思ったのが、ここも外国からの観光客が多いことです。
昔の日本の家屋を直接見れるし、建物の中に入ることもできます。そういうのもあってか人気があるのかもしれない。
近くで見ると迫力がある屋根
茅葺屋根って近づいてみると厚みがあるんですよ。
如何に昔の家が燃えやすいのかが良く分かります。
軒下から見上げれると、びっしりと藁(わら?)が詰まってますね。藁の先がきれいに揃えてありました。
こんな感じで、家の周囲をぐるっと藁の屋根が乗せてあります。屋根の重量も相当ありそう。一軒ぶんの屋根に必要な藁ってどれくらいなんでしょうね。今の日本では、藁を集めるのも相当な手間暇とコストも掛かるのは間違いないです。
古い荷車
先ほどの家の中に展示してありました。
車輪が木材で出来ていて、地面に接地する部分には、少し厚めに鉄が付けてあります。錆びていて色が同化してますが、鉄です。木材も密度の高そうなものが選ばれていて、頑丈さは分かりました。その一方、この荷車は何も乗っていなくても重量がヤバいのも分かります。昔の牛や馬って毎日重労働をしていたわけです。
車田
円形の田んぼに同心円状に稲を植えてたものを車田というようです。
http://www.hidanosato-tpo.jp/shinko/krmd_main.html
ここに詳しい説明が記載されているので、詳細は省きます。田んぼって一般的には、四角い枠で稲を育てているってイメージがありません?こんな丸い田んぼ、珍しいですよね?
養蚕の現場
最初の茅葺屋根の建物は違いますが、養蚕で使われていた道具が展示してありました。
蚕の繭(まゆ)から糸を作るときに使っていたそうです。手作業だと、なにかと道具の種類も多くなるんですね。それだけ、糸って貴重だし、布の価値も高かったんでしょう。
板の屋根
一定の大きさに切り揃えた板を瓦みたいに丁寧に並べた屋根。
よく見ると、何層かに重ねて使われています。で、その上のほうに石を載せてあります。あれで屋根は飛ばなくなるのか不思議です。
屋根の予備
これで一軒家の屋根を作れるんでしょうか?藁に比べたら場所を取らないのが利点っぽいですね。それでも、すごい量。
平成15年に作られたものなら、この時の写真が2016年(平成28年)だから13年前から置いてあることになります。屋根の交換時期が長いのか、それとも、これくらい板を寝かせておく必要があるのか分かりませんが、物持ちが良いです。
札みたいなものが壁に貼ってあった
これが一番よく分かりません。
人の名前みたいなものが大半で、ベタベタと柱や壁に貼ってあります。
一位一刀彫の実演見学
これの職人さんが、飛騨の里の中で工房を開いていて、自由に見学ができるようになっています。残念ながら写真なしです。結構、話しかけてくれた職人さんで、話して言える最中に写真を撮るのは失礼だと思い撮りませんでした。聞けば、職人が使う彫刻刀の柄の部分の木は、使う職人自らが自作するそうです。そうやって仕事道具を自分に合わせて作るところから職人としての仕事は始まるようです。昔ながらの方法って、みんなそうだったんですよね。
最後に
以上で、 飛騨の里で気に入った場所を紹介するよ は終了です。
万人受けする観光施設とは言い難いのが正直な感想なんですが、飛騨の里の公式サイトが魅力を上手くアピールできていない気がしたのでブログで紹介してみました。
ではっ!
【随時更新】高山市観光記事まとめ
どうも、須田ジーノです。
過去に高山市へ観光した内容記事を一覧化しました。
高山に関する記事が増える度に、この記事も更新していこうと考えています。
臥龍桜
akasora.hatenablog.jp
高山市の中心部から少し離れた場所に、樹齢1100年以上の桜があります。
「臥龍桜」と呼ばれる桜なんですが、名前の由来が桜の幹が竜に見えることから名づけられたそうです。今でこそ臥龍桜という名前ですが、その前は違う名前で呼ばれていたそうで、桜、そのものが好きな人なら歴史を含めて楽しめる場所です。
移動途中で見えた景色を紹介
飲食情報
氷菓で登場した和喫茶「かつて」。
聖地巡礼とは別に高山市の観光なら、ぜひ行ってみて欲しい店です。
おススメは、「白いパフェ 雪どけ」というバニラアイスの乗ったパフェです。
まず、見た目が雪かきの様子を再現されているパフェなんですが、食べる時に使うスプーンが小さなシャベルになってるのが可愛らしいんです。
店内の内容も僕は好きなんですが、通りに面した窓が古いガラスなのか、曇りガラスとは違うデコボコした半透明なガラスが使われています。
手前のガラスのコップと比べてると、表面の加工の違いが分かってもらえるはず。
外と店内にいる人は、お互いに相手の顔がはっきりと見えないのが安心してくつろげます。
お祭り情報
こちらは、「生き雛祭り」のレポートです。
実際に見に行った様子と感想をまとめたもので、不特定多数の人が写っているため顔のモザイク率が高いです。
簡単に説明しておくと、ひな祭りの人形を人がそれぞれ演じて、神社周辺を歩くお祭りです。氷菓ファンなら知っている祭りです。意外に、高山市全体ではマイナーな祭りなのかもしれません。実際、行った感想としては、七五三やお稚児さんのように身内のための行事という印象を受けました。
春と秋の祭りを合わせて高山祭。
秋のほうの祭り「八幡祭り」を見に行った時のレポートです。
日帰り観光した時の内容をタイムスケジュール形式にまとめた内容で、祭りに行くかどうか迷っているなら読めば大体の祭りの流れは分かりますよ。
飛騨の里
昔の飛騨の生活環境を知ることができる場所です。
茅葺の屋根を持つ家屋。養蚕の仕事道具。農村の生活が分かる資料が集まっているという印象です。
番外編
高山での体験
番外編というか、高山市へ行った際のちょっとした国際交流的な出来事です。
記事自体は、高山と全く関係ないテーマが多分に含まれているので、暇つぶしにでも読んでやってください。優先順位的には相当低いです。
ただ、高山市って京都みたいに外国人観光客が多くて、似たような体験をする方もいるのでは?と思ったので紹介します。
最後に、もう少し
以上で、 【随時更新】高山市観光記事まとめ はもう少しで終わりです。
昔の画像フォルダを見ると、まだまだ高山関連の写真があるので、今後も記事を書く可能性は高いし、高山市へまた遊びに行くこともありそうです。「君の名は。」を見てから、一度も行っていないし、今度は「君に名は。」視点からも書けそうですね。
ではっ!
19歳の時に海でおぼれて死にかけた話でも
僕は死にそうになった経験が3回ありました。
で、今回話すのは3回目の体験です。
タイトル通りの内容なんですが、僕は父と弟の3人で水晶浜海水浴っていう福井県にある海がきれいな場所へ行きました。
当時、彼女もいなければ、大学もバイトも忙しくなかったので父の提案で海水浴へ。
その日、朝は曇り気味だったのですが、徐々に晴れてきて海辺は海水浴に来た客で海も砂場も人で溢れていました。周りは祭りでもあるかのように楽しそうな声と海の家から流れるBGMで賑わいだし、僕ら家族は各自で自由に行動することに。
僕は元々、単独行動が好きな人間で、一人で泳ぎに海へ入りました。
位置的には、父がブルーシートを広げた正面の延長線上あたりで立ち泳ぎの練習をしていました。振り向けば、一応は父が寝っ転がって海のほうを向いているのは、こちらからも見えていました。
ただ、僕は人生で初めて立ち泳ぎというものに挑戦していて、アゴが海面で触れている深さから練習を始めました。5~6m付近に年上の女性グループはいたので、完全に一人というわけでもありません。周りの楽しそうな声と、自分も足が海底に着かなくても泳げていることで珍しくテンションを上げていました。つま先立ちで、その場でぴょんぴょん跳ねて遊んだりもしていたのですが、それがまずかった。
数回跳ねているうちに波で体が沖のほうへ流されていたことに気付けませんでした。
結果、足先が着くと思って息を吸い込もうとしたときに、頭のてっぺんまで海に沈みました。当然、海水も勢いよく飲み込んで。
僕は普段眼鏡を掛けていて、その時も眼鏡を掛けたまま泳いでいました。
突然、顔を海の中に入れてしまい、メガネが役立たずになり、ゴーグルなしでは水中で目を開けれない僕は、息が整わない、目が開けれない状況に追い込れパニック状態になりました。
そもそも、自分がどれくらい水深が深い場所にいるかも分からないのに、周りは誰も異変になんて気付いてくれません。さっきまで、陽気な雰囲気に高揚とした気持ち海を楽しんでいた僕からすると、自分だけ取り残されてしまったような怖さを感じました。
自分はこんなにも水面を手で水しぶきを立ててもがいているのに、誰も気付いてくれないんです。海の家から聞こえる音楽はいつまでもテンションは高いし、犬掻きのような感じで砂浜の方をぼやけた視界で必死に目を凝らせば、父はビール片手に寝そべっている。
このまま、誰にも気付かれずに、親の目の前で海に沈み死んでいくと思いました。ただ、走馬燈らしきものが頭を過らなくて、死にそうになっても良い感じの思い出とかも思い出せなかったんですよね。う~ん、溺死ってツラっ!苦しすぎっ!って。
この間、まだ足が底に着いていなくて、自己流の犬かきで何とか息は続いていました。助けが来ないなら、自力で陸に帰ろう。頭に浮かぶのは、バラエティー番組で見たことがある、犬による犬かきの水泳方法です。頭だけ水面から出して、手足を必死に回せば、あれと同じことができる!あと、こち亀で離岸流に巻き込まれると流されるから、斜めに泳いで沖へ進む流れから逃げようまでは正常に判断できていました。死にかけると、僕は冷静な方面に考えがまとまるみたいです。
実際、いつの間にか沖のほうへ流されて溺れかかったので、浜辺に対して垂直に泳ぐには体力の無駄遣いになっていた恐れもありましたので、いい判断をしたと思っています。
そこからは、結果的に産卵のために上陸に成功した母亀のようにズルズルと陸へ上がって、父のいるブルーシートまで辿り着けました。海水も最初の一度以降は飲み込まなかったので、しばらく休憩してから遊びを再開しました。阿保ですね。死にかけたのに、体力が戻ったら、今度は浅瀬で遊んでました。父に死にかけたと話しても、あまり心配されなかったのも印象的でした。大げさと捉えれたようです。5月以降は例年、川や海、プールで亡くなる方も大勢いますから、水遊びする人が増える前に読んでもらおうと思って書きました。
人間、漫画やアニメみたいに走馬燈とかいう体験を皆するわけではないようです。というより、走馬燈らしいフラッシュバックがないなら、まだ生きれる可能性が高いってことを本能的に気づいてるんじゃないでしょうか?
僕は、溺れて犬掻きをマスターしました。海で近くに人がいても多分、助けてはくれないでしょう。素人が溺れている人を助けようとして、どちらも結果亡くなるなんて話は毎年ありますし。僕もそれは仕方ないと思いますから、当時近くにいた人たちのことを恨んだことはないです。そもそも、顔すら覚えていません。
即席で身に付けた犬掻き泳法で難を逃れたんですが、今は泳ぐことに対して恐怖心が少し残ってます。トラウマにならないレベルなんで、水深が1mちょいの市民プールなら泳げます。泳ぐと言っても25mも泳げないポンコツなんですけどね。
以上で、 19歳の時に海でおぼれて死にかけた話でも を終わります。
水難事故に逢わないためにも、カッコつけないで浮き輪とか使ったほうがいいですね。
ではっ!