暁の水平線-あか空

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暁の水平線に-あか空

アニメ、マンガ、小説、ゲームを中心に書く雑記ブログです。

タイトルが似ている「ぼくは勉強ができない」と「ぼくたちは勉強ができない」

 みなさん、来月でとうとう4月です。4月といえば花見。そんな僕は花見は一人でも平気な須田ジーノですよ。

 

 来月から、入学・入社と人生の門出を迎える人が日本中で溢れ、それに伴い、周囲の環境の変化に悩みやすい時期でもあります。あとは花粉症にも悩みむ人も少なくない時期です。

 今回紹介するのは、タイトルのよく似ている小説とマンガです。方や20年以上前に世に出た作品、そして、もう一方は、先月から連載が始まっている作品です。

 

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タイトルは似ていても中身は別物というのは良くあること

 2017年02月13日から週刊少年ジャンプで新連載している 「ぼくたちは勉強ができない」というタイトルを見て最初に思ったのは、小説「ぼくは勉強ができない」だった。

 この2つの作品のタイトルは、「ぼくは」と「ぼくたちは」が違うだけで、その後にくる言葉は、「勉強ができない」になっている。そして彼ら彼女らは勉強ができない。

 「ぼくは勉強ができない」は1993年に発表された山田詠美先生の小説。後者の「ぼくたちは勉強ができない」は筒井大志先生によるマンガ。どちらも高校生が主人公、勉強ができないことが特徴として描かれています。そして、恋愛がテーマの一部として組み込まれている所までは共通しているにもかかわらず、その中身の感想はだいぶ異なるものになりました。

ぼくは勉強ができない

ぼくは勉強ができない (文春文庫)

ぼくは勉強ができない (文春文庫)

 

ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだ――。17歳の時田秀美くんは、サッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてる。ショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中だ。母親と祖父は秀美に理解があるけれど、学校はどこか居心地が悪い。この窮屈さはいったい何なんだ! 凛々しくてクールな秀美くんが時には悩みつつ活躍する高校生小説。

 

引用:山田詠美 『ぼくは勉強ができない』 | 新潮社

本作を知ったきっかけ

 この作品を知ったきっかけはよく覚えていません。なにか、雑誌かネットの記事で偶然見かけて知った気がします。知った当時、僕はkindle fire を買ったばかりで、電子書籍の小説を読みたくて読みたくて手頃な価格の本を探していました。本のタイトルにも勉強が苦手な自分と親近感を覚え、なんとなくで即購入しただけです。

読みながら自分の高校生時代を思い起こす

 なんとなく読み始めることになった”ぼくは勉強ができない”は、思いの外、ハマって読み進めました。今まで読んできた小説の中でもしかするち一番現実味のある人間たちが描写であること、リアルな高校生の男女間の様子がそこにはありました。リアルというか、主人公が同級生の異性に対する考え方が高校生らしかったり、少しすれた考えも混じっているところが生身の人間らしさを感じさせます。

 僕の高校生時代というのは、モテなくて学業もあまりよろしくない、更に帰宅部でバイトもしてない。そんな残念な3年間を過ごしていました。同世代の人の中には、当たり前のように彼女彼氏がいて、部活やバイトをしながらデートや進路を考えて過ごしている……そんなことを小説を読みながら自分と比較して読んでいると、少し自分の残念さ具合と、それでも友達(同性のみ)とバカやったり、一緒に遊んだ思い出もぽつぽつと思い起こされて楽しくもありました。

 

ぼくたちは勉強ができない

www.shonenjump.com

誰が描いてる?

 最初読んでいて「ニセコイ」の古見直志先生だと思っていました。よく似ていて勘違いしましたが、スピンオフ作品「マジカルパティシエ小咲ちゃん!!(マジパテ)」の作者さんでした。

 僕は、マンガアプリ「ジャンプ+」でマジパテを全て読んでいます。こちらは恋愛をテーマにした魔法少女で、ニセコイのレギュラーメンバーが少しずつ設定に変更があります。マジパテの最終的な結末をここで書いてしまうのは、まだ読んだことがない方に失礼なので書きません。漫画を買って読むか、少年ジャンプ+で確認してみてください。

 

 須田による簡単なマンガ説明

 こちらの作品、主人公の男子高校生は苦学の末、志望大学の推薦を貰うところから物語は始まります。ただ、推薦を学校から受けるにあたり、学内の天才少女2人の教育係になることを条件に出されてしまいます。

 結果条件をのみ教育係になりますが、彼女らは学力に大きな偏りを持っています。理数科目が得意な「緒方理珠」、文系科目が得意な「古橋文乃」はお互い、自分の苦手科目の方で進学したいと考えている。

 学校としては、得意科目で進学をして欲しいが、本人たちが緒方は文系の進路希望を、文乃は理系の進路希望をしている。そんな訳で、主人公こと「唯我成幸」が2人に勉強を教える毎日が始まります。

 

2つの作品を比べてみた感想

 前者のぼくは勉強ができないの主人公、時田秀美は勉強は出来ないものの、自分には年上の彼女がいるし、勉強以外のものに価値を見出し生きている学生。対してぼくたちは勉強ができないの主人公とヒロインたちは、勉強ができるようになりたいことに重きを置いているようです。タイトルの2文字違いで何に価値を置くかに違いを生む作品になっています。

 勉強は大事であることは間違いないです。でも、大卒じゃないとロクな人間になれないと考えている脇山、それから、そんな風に子供たちに教える大人たちは間違っています。時田は、脇山に「でも、おまえ、女にもてないだろ」と言って脇山を黙らせるシーンがありました。勉強しかできないおもしろくない男、そんな意味を込めた皮肉は、なかなかのいいパンチを聞かせたセリフであって、今でも使わる相手を黙らせることができる殺し文句です。時田は、時田なりの持論をもっていて、それは少し偏屈であっても間違ってはいないと僕は共感できるものがありました。

 次に連載している、ぼくたちは勉強ができないについて。彼らは努力して将来の進路のために勉強をしています。僕はどうしても、単純に女の子が可愛いとか思ってしまいます。理珠も文乃も自分の好きなルックスの女の子だし、「ぼくは勉強ができない」ほど揺さぶられる心理描写をないので。

 小説とマンガを比較する自体が自分にとって初めての試みです。ただ偶然にも、ぼくは、この2つの作品を知っていたから比べただけです。中身から比べたのではなく、タイトルの類似からです。ただ、「ぼくたちは勉強ができない」は未完作品のため、今後の展開で自分の中で考えは変わるでしょう。今時点の感想です。

 

 以上で「ぼくは勉強ができない」と「ぼくたちは勉強ができない」を比べた感想文は終わりです。